御師のいえ 大鴈丸(おおがんまる) fugaku × hitsuki(富士吉田市上吉田)
「御師」の文化を伝える複合型ゲストハウス
神仏の力を求めて富士山へ登る人々が、かつては登山前に必ず参詣していたという北口本宮冨士浅間神社。その神社の近くには登山参詣者に宿を提供し、心身を清める祈祷などを行う「御師」が営む宿坊が数多く建ち並んでいたと言います。
江戸時代に庶民の間で流行した富士山信仰のために登山する「富士講」と呼ばれる人々のお世話をし、自宅を宿坊として提供していたのが御師の存在でした。御師旅館の一つ 「御師のいえ大鴈丸 fugaku × hitsuki」は、450年以上続く御師の家をリノベーションし現代風のカフェ&ゲストハウスとしてよみがえらせた宿です。
御師18代目自らリノベーション。
450年の歴史になるべく手を加えず、古き良きものを残す
「実際に御師をやっていたのは14代目まででした。その後、祖父母が20年くらい前までここで民宿をやっていました。両親や祖父母からも『家を継げ』と言われたことはなかったですが、子どものときに祖父に言われた『お前は御師の18代目だ』という言葉はずっと心に残っていました。高校を卒業してから富士吉田を離れ、東京都内の木工所に勤めたあと木工修行するための場所を探して日本各地を旅していました。そこに住む地域住人が地元の文化を盛り上げようと奮闘していた姿を見た時に改めて御師の歴史や文化の奥深さを知り、この家を含めて後世に残していきたいという気持ちになりました。」と一志さんは当時を振り返ります。
木工事業を手掛けている18代目が自ら改装したという館内は、長い歴史が宿っている趣きを感じつつも丁寧な手仕事によって現代に合わせた機能を兼ね備えた造りになっています。
「御師宿坊は受け入れ人数の増加に合わせ増改築を繰り返してきた背景もあり、リノベーションに際して現代に合わせて改築しました。」と一志さん。幅広い人に御師や富士山信仰について知ってもらい当時の趣きを残すため改築を最小限に留め、民宿のときに食堂だったスペースを奈津子さんが予約制のカフェに、その他は浴室や屋根裏に手を入れた程度になっています。
1階の甲冑のある上段の間は富士講の先達が主に宿泊していた客室。2階の隠れ家的な部屋は、小窓を開けると大きな富士山の絶景が一望できるため隠れた人気の客室になっています。
肩肘張らず "御師文化" を継承していく
板の間には、御師の斎服や北口本宮冨士浅間神社の絵図などが展示されており、当時の富士山信仰の様子を知ることができます。
「最盛期に86軒あった御師宿坊は現在16件ほどが建物として残り、宿として機能しているのは4軒のみになります。住むのに大変だから取り壊して新しい家を建てる方も多いため、上吉田の街に当時の面影は無くなってきています。私は県外出身ですが今ではすっかり御師文化に魅了されています。」と奈津子さんは話します。
御師文化を伝えていくために夫婦は御師後継者で結成される「御師団」の青年部を立ち上げ、次の世代にバトンを渡すための活動に尽力しています。
「私の代になると後継者が一気に減るため危機感もありますが、富士山信仰というと受け取り方によっては敬遠される方もいるので、あまり肩肘張らず伝えていけたらと思います。私たち自身も責任を抱えすぎても負担になるので楽しみながら伝統を継承していきます。」と一志さんは話します。
今では日本文化に興味のある外国人も多く訪れる 「御師のいえ 大鴈丸 fugaku ×hitsuki」。450年の歴史を今に伝えるゲストハウスは、 大鴈丸夫婦らしい温かな空気が流れるアットホームな宿でした。
Article written by VALEM co., ltd.
御師のいえ 大鴈丸(おおがんまる) fugaku × hitsuki
山梨県富士吉田市上吉田7丁目12−16
※詳細は下記URLを参照してください。
Instagram : fugakuxhitsuki