「エモい」の意味は?どう使う?〜心の素敵な揺れを3文字で射止めた言葉
最近よく聞く「エモい」。そこには単に若者言葉では片付けられない、深い意味と成り立ちがあるようです。ここでは、そんな「エモい」の意味や使い方を解説します。
ねえ、「エモい」ってどういう意味?
景色とかインスタとか見てて、なんとも言えないいい懐かしさみたいなの感じたら使うかな
どゆこと?
荒井由実の「翳りゆく部屋」、好きだったよね?
エレファントカシマシがカバーした方も好き!
それが「エモい」だよ
そゆこと?
「エモい」とは?意味と語源を分かりやすく解説
「エモい」とは、なんとも言い表せない素敵な気持ちになったときに使う、主に若者の間で浸透している俗語(スラング)です。感情が揺さぶられたとき、予期せず感動したとき、とりわけ心地の良い懐かしさや良質なセンチメンタルに襲われたときに使うようです。
「エモい」は、1980年代のアメリカで広がったロックミュージックの一つのジャンルであるEmo(エモ、イーモウ)から派生した言葉と言われています。Emoはメロディアスで情緒的に心情を吐露するような歌詞が特徴の音楽ジャンルで、Emoという名前自体も感傷的、情緒的を意味する英語emotionalを略したものです。「エモい」は、本来の音楽ジャンルとはもはや別のニュアンスに発展しました。
「エモい」の使い方・事例
・「夕焼けがふぁーって広がって、雲の下側がもこもこ赤くてエモい」(夕立のあとの夕焼けを見ながら)
・「水がすごく綺麗。川で子供たちが遊んでて向こうに南アルプスでエモいね」(カップルが夏に山梨の白州にドライブに出かけて)
■映画編
・「食堂でのデニーロと恋人のダンスシーン、何度見返してもエモい」(レナードの朝、ペニー マーシャル)
・「古いフィルムのシーン、エモすぎ」(ゆれる、西川美和)
・「レオンが斧で換気口壊してからのくだり、エモすぎて見てられない」(レオン、リュック ベッソン)
■音楽編
・「シンプルなメロディと切ない声がエモいです」(矢野顕子が歌う中央線、THE BOOM)
・「終わりの伴奏がずっと続いてほしいっていうエモさ」(家族の風景、ハナレグミ)
・「サカナクションのこの曲、とくにエモいよね」(忘れられないの、サカナクション)
・「繊細。エモい」(I Think I'm Falling、KOHH)
■小説編
・「不死身男と医師が最後にレストランで会話するシーン、何度読んでもエモい」(タイガースワイフ、テア オブレヒト)
・「読み終えたあと、世界が違って見えてエモい」(アルケミスト、パウロ コエーリョ)
・「終始崩されないマーロウの姿勢、エモい」(ロンググッドバイ、レイモンド チャンドラー)
エモい写真の例
一般的にエモいとされる写真を紹介します。もちろん、エモいの感じ方は人それぞれなので、あくまでご参考までに。
エモいはうれしいときも悲しいときも使う
エモいは、嬉しくなったときも悲しくなったときも使えます。この特徴、あの言葉に似ていますよね。
そう、「ヤバい」です。ヤバいもうれしいときも悲しいときも使えます。「エモい」も「ヤバい」も、感情の中身や種類というよりは、「揺れ方」「震え方」を示しているからです。その振幅が深かったときに発動する言葉です。
震えたって言いたい。だって、うれしいか悲しいかなんて、状況か表情を見ればわかるでしょ?
「寒い」、「美味しい」という事実を伝えることは簡単です。それに比べて、自分の心の機微を伝えるのはまるで針に糸を通すよう。ショート(youtube)やストーリー(インスタグラム)がエモければ、私たちはいいねを押すまでです。
「エモい」の中心にあるもの〜ノスタルジックとの違いから
上の図で示したとおり、「エモい」は感動や感傷を巡るさまざまな形容詞のどれとも完全には一致しないのに、どの感情もかするように含んでいるようです。では、「エモい」の中心にあるものはなんでしょうか?「ノスタルジック」との違いから考えてみます。
さてノスタルジックについてですが、「自分の感じてるこの気持ち、ノスタルジックと呼んでいいのかな?」と思ったことはないでしょうか?和訳「郷愁を感じる」もそうですが、この言葉の定義と自分の感情の一致を確信できている人は少ないかもしれません。「ノスタルジック」・「郷愁」を使うことは、辞書に載っている定義と自分が今感じている気持ちが同じだと世に提出すること。そこに自信が持てないワンクッションに引っ張られて、肝心の「自分の今の素敵な気持ちを相手に伝えること」が遠のいてしまいがち。
一方の「エモい」はざっくりとした言葉ではあるものの、「とにかく自分はそう感じたんだ」という立場を貫くことで自分の感情を際立たせます。「みんながどうか知らない、でも自分は今こう感じているんだ」という主体的ニュアンスがその核にあるのではないでしょうか。
人類はどう感動したかをさまざまな形容詞で他人に伝えようとしてきましたが、その試みにはことごとく失敗。そのわけは「美しい」「郷愁的」などの形容詞が結局のところよそ行きの、他人行儀の意味しか持っていなかったからではないでしょうか。「美しい」と発することは、車や本を見て車、本と言うことと同じことかもしれません。
しかし若者は、最後に「い」を置くことで主体的なニュアンスを強め、形容に意志を持たせました。「自分の心が揺さぶられた」という事象表明に特化し、より差し迫った感情表現へ。それが可能だったのは、短歌や俳句など、たった一文字に意味を持たせることが得意な日本語だからこそでしょうか。
「エモい」が予感させるもの
泣ける映画・泣ける小説といった表現をよく聞きますが、一方で涙が出ない感動もあります。予期せずふと立ち上がった心象が、その人に気づきや決意をもたらすことがありますが、そんなとき涙が伴わない静的な感動がきっかけだったります。
少年が虫集めを頑張ると決めたとき、受験や資格を頑張ると決めたとき、人前でラップを歌うと決めたとき、難ルートを登るとクライマーが決めたとき。この世界に生まれた決意のきっかけは、泣ける映画・泣ける小説というより、日常と地続きの、静かで心地いい感情の変化だったのかもしれません。
そんな受け手側が予感した内面の変化や将来の予感さえ、「エモい」は背負(しょ)っているのかもしれません。
心のデモクラシーを一言で言い表し、しかも自分の中に生まれた将来の予感さえも言い表す3文字の言葉「エモい」。それを生み出したのは、専門家ではなく若者でした。おそらくたった一人の若者が使い出し日本中に広がったわけですが、これは進化がたった一点の変異から始まるダーウィンの進化論(自然選択説)によく似ています。その一点はシンプルに見えても、長い時の要望に対してなかなか生まれなかった一手でした。
「『エモい』なんて使っていたら、若い世代の語彙力や表現力が低下する」と危惧する声もありますが、そう簡単に切って捨てられない深い成り立ちがこの言葉には含まれていそうです。「エモい」が広がりやすいコミュニケーション構造や社会傾向が今の日本にあるということでしょうか。
Article written by ヒノキブンコ