『お餅』〜日本古来の食文化。餅つき・鏡餅など
2020年度のお餅の生産量、過去30年間で最高だって!
すごい!お餅は毎日でも食べたい
全国餅工業協同組合の調査によると、2020年度のお餅(包装もち)生産量は過去30年で最高でした。
新型コロナの影響で年末年始をお家で過ごす人が増え、お雑煮などお餅の消費が増えたためと考えられますが、もともとお餅は人気の国民食。
今回は『鏡餅』、『餅つき』などお餅にまつわる日本の食文化をご紹介します。
お餅〜日本古来の食文化
日本の伝統食『お餅』ですが、その原形は縄文時代後期、今から2千年以上前に遡るとか。
平安時代には宮中や貴族の行事、儀礼でお供物・お祝い料理としてお餅が作られるようになり、その後室町時代・江戸時代にかけて武士や庶民の間に広がりました。
現在では、お正月にお雑煮や焼き餅で食べられるだけでなく、デザートやお菓子、洋食レシピに取り入れられたりして一年中広く食されます。
鏡餅(かがみもち)とは?
鏡餅(かがみもち)は、お正月に床の間や神棚に飾られる神様へのお供え物。正確には、鏡餅そのものが神様がよりつくところ、依代です。神様とは、お正月にやってくる年神様(としがみさま)です。
鏡(かがみ)といえば、玄関や洗面所にある鏡を連想しますが、昔は丸い「銅鏡」を指しました。鏡餅も同じく丸い形である点、さらにどちらも神様が宿る場所と考えられていた点で似ていたため、鏡餅と呼ばれるようになりました。
鏡餅を飾る日はいつでもいいというわけではなく、大掃除を終えて30日までがいいとされます。31日を避けるのは、葬儀と同じ一夜飾りになるためです。28日は末広がりを連想させるから理想の日とされます。
お供えした鏡餅は下げて食べるところに意味があり、これを『鏡開き』といいます。鏡開きを行うことで、神仏への感謝の気持ちを示し、家族の無病息災や繁栄を願います。鏡開きは1月11日に行うことが多く、手や小鎚で割って雑煮や汁粉などにして家族で分けて食べます。
餅つき
そんなお餅を作る『餅つき』も同じく日本において特別な意味がありました。
日本にはもともと、普段の暮らしを『ケ』、祝い事や祭りがある特別な日を『ハレ』と呼んで区別してきました。
縁起物であるお餅を作る『餅つき』を行う日は、ハレの日。その道具である『臼』と『杵(きね)』は家族の繁栄の象徴として大切にされてきました。
年の瀬になると、家族や親戚で集まって餅つきをする習慣がありますが、一連の作業をいっしょに行うことで親類や友情の和が深まります。年が明けて新年を迎えてから餅つきをするのもいいことです。ただし、その場合、鏡餅は事前に用意しておく必要があります。
山梨県平林地区で鎌倉時代から続く臼づくり
そんな餅つきの道具『臼』を大昔から作っている産地が山梨にあります。
それは、南アルプスの山麓に位置する山梨県富士川町『平林(ひらばやし)地区』です。ここではなんと鎌倉時代から臼づくりが続けられてきたとも言われています。農閑期に作られた臼は室町時代から続く『十日市』(南アルプス市)で売られてきました。材料はもともとはミネバリ、今はケヤキ。ミネバリは別名オノオレカンバと言われるほど堅く、水に沈むほど重い木で、今はもうほとんど採れなくなりました。
明治、昭和初期まで平林地区には多くの臼づくり職人がいましたが、時代の変化とともに今はわずか2名の職人がその技を受け継ぐだけとなりました。それでも、お餅の習慣や餅つきが日本からなくならないのと同じように、技の継承も途絶えることはないでしょう。
以上、お餅とそれにまつわる食文化のご紹介でした。
日本の主食であるお米は人々に生命力を与える食べ物だったから、祭りやお祝い事では神聖な存在として扱われてきました。そんなお米から作ったお餅は、なかでもとりわけ特別なものだったんですね。
written by ヒノキブンコ