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武田信玄公の正室・三条夫人の菩提寺 「円光院」

武田信玄公が創建した禅寺。"禅の心" を時を超えて今に伝える

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武田神社から車で5分弱、甲府盆地を見渡せる静かな山間の地に佇む「瑞巌山 円光院(臨済宗妙心寺派)」。武田信玄公の正室である三条夫人の菩提寺として450年以上護持されてきた寺院は、"禅の心" を時を超えて今に伝えています。

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「禅宗の1つである臨済宗は、人に触れる、そのものに触れるということを大切にしています。情報が交差する現代社会において、仏の教えに触れ歴史から知恵を得ることで "今ここに生きている" ということの大切さに気付かされます。一般の方が仏教を少しでも身近に感じ、今の暮らしに役立つきっかけになればと日々努めています。」と副住職・武田一宏さんは話します。

戦国大名の正室として力強く生きた三条夫人

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「円光院」はもともと、武田家の菩提寺「成就院」として小石和(現在の笛吹市石和町)に存在していました。永禄3年(1560)、京都にある「臨済宗」の大本山「臨済宗妙心寺」を開山した開山国師を崇敬していた信玄公は、臨済宗の五大寺である京都五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)」にならい、甲府五山(円光院、東光寺、法泉寺、長禅寺、能成寺)として古刹の寺を城下に移したと言われています。

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元亀元年(1570)、信玄公正室である三条夫人が逝去し、当寺院に葬送されたときの戒名から寺名を「円光院」と改称し、本堂には三条夫人が嫁入りの際に京都から持ってきたと言われる釈迦如来坐像が安座されています。

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「険しい山にしか咲かない高貴な梅のつぼみ」という意味が込められた三条夫人の戒名。京都の名門(清華家)に生まれ、容姿端麗で高貴な公家の娘として武田家に嫁いで来ましたが、5人の子どもを相次いで失うという将来の希望を絶たれてしまいながらも戦国大名の正室として力強く生きた三条夫人そのものを体現しています。

年に1度「信玄公祭り」にあわせて御開帳。
信玄公の守本尊「刀八毘沙門天・勝軍地蔵尊」

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三条夫人が逝去してから3年後、信玄公は信州の駒場にて53歳の生涯を終えました。釈迦如来坐像が置かれる本堂の一角には、信玄公が日々祈りを捧げ、行軍の際にも持ち運んでいたと言われる守本尊「木造刀八毘沙門天及び勝軍地蔵像(山梨県指定有形文化財)」が大切に保管されています。

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鎧兜に袈裟(けさ)で刀を持ち、白馬に乗った「勝軍地蔵」と、10本の腕のすべてに刀を握り獅子に乗る「毘沙門天像」。高さ30センチ程でありながら、緻密で生彩な作りは全国的にも類例稀な一具像であり、信玄公の遺言により <円光院> に寄贈されました。「信玄公祭り」にあわせた年に1度の御開帳日には、秘仏を一眼見たいと願う歴史通が集うといいます。

寺離れが深刻化する現代。先人が繋いできた歴史や文化を紡いでいく

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武田家滅亡後「円光院」は武田の家臣を祖先とする平岡氏によって護持されてきましたが、火災や後継者不足で寺院存続の危機があった中、武田さんの祖父が受け継ぎ、現住職と檀信徒さんが一丸となり寺院再建のため布教活動に尽力してきました。

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「日本各地で寺院の無住化(空き寺、兼務寺院)が深刻になっていますが、当院もまた、後世に残していこうと歴代住職がバトンを繋いできました。"人のために自分の時間を使う" という禅宗の教えの元、今あるものを大切にし、先人たちが紡いできた歴史や文化を次の世代に繋いでいきたいと考えています。」と武田さんは丁寧に、想いを込めるように話します。
梅や桜、つつじなど四季を通じて変化を見せる「円光院」。境内に流れる清々しい空気の中に身を置き、三条夫人の生き様や禅宗の教えに触れることで「いま、ここ」に生きているということを実感します。

Article written by VALEM co., ltd.

臨済宗妙心寺派 瑞巌山円光院
山梨県甲府市岩窪町500
※詳細は下記URLを参照してください。
https://enkoin.org/

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