日常にある富士山を、あらためて考えていこう。 (Reconsider about Mt.Fuji)
当たり前だと思っていることは、少し視点を変えると自分にとって全く新しいものとなる。こんな感覚を体験したという方も多いのではないでしょうか?
新しいものが次々と生み出され消費されていく中で、常に身の周りにあるものはまるで空気のような存在で、あまり有り難みも感じないけれど、いざそれが「無い」と考えると...。
例えば私たちにとって、山、海、川、空、おいしい空気は、当たり前のものと考えがちですが、山梨県人にとって一番の象徴は「富士山」と言っても過言ではないかも知れません。お膝元の山梨県、静岡県の人にとっては朝起きてカーテンを開けたらいつでも迎え入れてくれる存在だし、仕事中でも、プライベートでも、一日に一回は必ず目に飛び込んでくる甲州の日常の必須アイコンです。
私たちは富士山をどれだけ知っているんだろう
さて、甲州人のアイコン代表、富士山。今年も7月1日に山開きとなり、国内外から沢山の観光客が今この瞬間も、頂上を目指して登っています。...とは言うものの、この記事を読んでいる方の中で、どれだけの人が頂上まで登ったことがあるでしょうか?
富士山は日本において5本の指に入る外国人向け超有名観光スポットです。最近では山梨県が増え続ける外国人観光客への対応に力を入れ、至るところに英語をはじめとした外国語ガイドが充実しています。最近では登山者に向けたWi-Fiの整備も進んできています。
2013年に世界遺産に登録されたことも手伝って、環境対策も充実してきたのは皆さんもご存知のはず。行政だけではなく、NPO団体も協力して環境保護に力を入れています。「夜が近づくと、道の向こう側に2つの光る謎の物体が...!」なんて経験をしたドライバーの体験談も数知れず。あまり報道されませんが、冬期の富士山エリアを取り巻く動物との自動車事故は問題にもなっています。
(※この辺りも、いずれゆっくりと掘り下げていこうと思います。綺麗なものだけを伝えるのではなく、富士山にまつわるオモテもウラも伝えてこそ、読者のみなさんにとって価値のあるメディアになるのでは、と考えます。)
北口本宮富士浅間神社は参道から圧巻の光景。吸い込まれる様...。
登るだけじゃない。富士山が生み出した永い永いストーリー。
世界遺産。あまりにも有名な葛飾北斎の富嶽三十六景。舞台となった富士山の周りには、たくさんのエピソードやスポットが溢れています。例えば北口本宮富士浅間神社にお邪魔すれば、この神社が富士山のお膝元に長い間鎮座し、多くの人に愛されて来たその理由を感じられるかも知れません。
その由来は遡ること、西暦110年。1900年も前の話になります。日本武尊(ヤマトタケル)が東征した際、酒折宮(現在の山梨学院大学付近の神社)へ向かう途中に、この土地にある大塚丘(おおつかやま)に立ち寄った時のことです。そこで「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と言い残したと言われています。時を経て富士山の大噴火が起き、当時の国主の紀豊庭(きのとよひろ)が延暦7年(西暦788年)、大塚丘の北方に社殿を建立します。ここに浅間大神をうつし、大塚丘には日本武尊をお祀りしました。これが北口本宮冨士浅間神社の創建のいわれです。
富士山周辺には信じられないほどに長い歴史の空気を吸って来た素晴らしい場所がたくさん存在します。「日本有数のパワースポットだから」というシンプルな理由で訪れるのも構いませんが、少しでもエピソードやストーリーを予習すると、まるで感じ方や楽しみ方が違います。日常の中にある様々なスポットは、ほんの少し歴史を紐解いてみると、とても大切な場所になる事もあるんです。特に富士山の周りでは、不思議と心の中にある「日本」というキーワードを花開かせてくれる場所が多い気がします。
そう思うのは、きっと昔から富士山が何よりも沢山描かれてきて、愛されてきて(時には恐れられて)来た結果、日本人の心やDNAに染み付いて来たものだからなのかも知れません。時代によって様々なエピソードを産んできた富士山と、その周辺文化。当たり前だと思っていることは、少し視点を変えると自分にとって全く新しいものとなります。このコーナーでは富士山にまつわるヒストリーから、現代の富士山と人との結びつきをテーマに今後も掘り下げていきます。あなたの日常にも、「あたらしい特別なもの」が増えていきますように。
Article written by New Attitude