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お金のれきし

古代 お金がなかった時代の人びとの生活。

1. 自給自足(じきゅうじそく)の生活

今から2000年以上前の弥生(やよい)時代の人びとは、生きていくために、自分であわ・米などをつくったり、魚・鳥をとったりして生活-自給自足-をしていたんだ。こういう生活では、お金などまったく必要(ひつよう)ではなく、自分で動きまわっては食べる物、着(き)る物を見つけていたんだ。

2. 物々交換(ぶつぶつこうかん)による生活

自分でつくったり、自分でとった物で毎日毎日の生活をしていた時代が少し進むと、やがて人びとは、自分の欲(ほ)しい物と相手(あいて)の持っている物を交換-物々交換-することにより欲しい物を手に入れて生活するようになったんだ。

3. みんなの欲(ほ)しがる物がお金のかわりになったんだよ

物々交換では、自分の欲しい物と相手が交換したい物とがあわないことがよくあったんだよ。そこで

  1. 1.誰(だれ)もが欲しがるもの
  2. 2.集めたり、分けたりして思いどおりの値打ちが表わせるもの
  3. 3.かさばらず、持ち運びがらくで、いたむことなく保管(ほかん)できるもの

これらの条件(じょうけん)をもつ物を交換のなかだちとして用いるようになったんだ。これが物品貨幣(ぶっぴんかへい)といわれるもので、矢じり、籾(もみ)、砂金(さきん)、布(ぬの)などが多く用(もち)いられるようになったんだ。

4. 宝貝(たからがい)がお金の始まりだ

今からおよそ3000年くらい前の中国では、インド洋沿岸(えんがん)など南の海でとれる美しい宝貝をお金として用いていたんだ。
こうしたことから、お金や経済(けいざい)に関係(かんけい)する漢字(かんじ)には貝のつく字が多くあるんだ。

-財、貯、買、貸、貨、販、資、購など。

中国からお金の文化をとり入れた時代。

今からおよそ2000年くらい前の中国では、すでに丸(まる)いお金が生まれていたんだ。

日本では飛鳥(あすか)時代<600~700年頃(ころ)>になって、進んでいる文化をみならおうと、使いの者を中国に行かせ、文化のとりいれをしたんだ。これが遣隋使(けんずいし)・遣唐使(けんとうし)と呼ばれた人達なんだ。この人達によって、中国でつくられたお金が日本に持ちこまれ、一部の人びとのなかで使われ始(はじ)めたんだよ。

和同開珎(わどうかいちん)が日本で最初(さいしょ)につくられたお金だよ。

日本で初めてお金がつくられたのは、今からおよそ1300年くらい前の708年<和銅元年(わどうがんねん)>なんだ。それは中国の"開元通宝(かいげんつうほう)"を手本(てほん)にしてつくられた"和同開珎(わどうかいちん)"だよ。

それからおよそ250年の間に12種類(しゅるい)の銅銭(どうせん)が朝廷(ちょうてい)によってつくられたんだ。これら12種類をまとめて「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」と呼(よ)んでいるんだ。

中世 中国などからお金を買った時代もあったんだ。

今からおよそ1000年くらい前の平安(へいあん)時代なかばすぎになると、中国(当時は「宋(そう)」)との貿易(ぼうえき)がさかんになり、国内では商業(しょうぎょう)が発達(はったつ)して、人びとはお金を使うきかいが多くなったんだ。しかし日本ではお金の材料(ざいりょう)<銅(どう)>が不足(ふそく)したため、お金をつくることができず、中国や朝鮮(ちょうせん)からお金を輸入(ゆにゅう)して使ったんだ。この中国などのお金は、江戸(えど)時代の初(はじ)めまで人びとの日常生活(にちじょうせいかつ)に用(もち)いられたんだ。

近世 金・銀を戦(いくさ)の"ほうび"に使っていた時代もあるんだ。

今からおよそ450年くらい前になると、中国などから輸入(ゆにゅう)したお金を使う一方(いっぽう)で、武士(ぶし)など身分(みぶん)の高い人達の間では、金・銀をお金として使うようになったんだ。

金・銀は 1. かさばらない 2. 持(も)ち運びに便利(べんり) 3. 価値(かち)が安定(あんてい)しているなどから、大名(だいみょう)がさむらいたちに戦(いくさ)の"ほうび"としてあたえることが多くなったんだ。このため、各地(かくち)で領地(りょうち)や金山をうばいあう戦が多くなり、戦国時代(せんごくじだい)といわれたんだ。

信玄(しんげん)が考えたお金のしくみを知ってるかい。

山梨の生んだ武将(ぶしょう)武田信玄は、"金(きん)"をお金として使うしくみをつくった知将(ちしょう・頭のよいさむらい)でもあるんだ。

信玄の考えたお金は"甲州金(こうしゅうきん)"といい、しくみは"4進法(しんほう)"を使って、同じものが4つ集まると、ひとつ上の単位になるしくみなんだ。黒川金山(くろかわきんざん)<甲州市(こうしゅうし)>、湯之奥金山(ゆのおくきんざん)<下部町(しもべちょう)>、御座石金山(ございしきんざん)<韮崎市(にらさきし)>などの金山からさかんに金が掘(ほ)り出されて甲州金がつくられたんだ。

むずかしくなった江戸時代のお金のしくみ

関ケ原(せきがはら)の戦(たたか)いに勝(か)った徳川家康(とくがわいえやす)は、1603年に江戸(えど)に幕府(ばくふ)を開(ひら)いたね。その家康はお金のしくみをこまかくして、金で大判(おおばん)・小判(こばん)・一分金(いちぶきん)などを、銀で丁銀(ちょうぎん)・豆板銀(まめいたぎん)などをつくったんだ。さらに1636年<寛永13年(かんえい13ねん)>に銅のお金<寛永通宝(かんえいつうほう)>をつくって、金・銀・銅による三種類のお金を考え、それぞれに別々(べつべつ)のしくみを持たせたんだが、これが三貨制(さんかせい)といわれているんだ。そこで両替商(りょうがえしょう)が生まれたんだよ。

近代 いろいろなお金がつくられた明治(めいじ)の初めはお金の統一(とういつ)に苦労(くろう)したんだ。

1868年、明治の新しい政府(せいふ)ができて近代的(きんだいてき)な政治(せいじ)がスタートしたんだ。そして新しい社会をつくるためにはたくさんのお金を必要としたんだ。このため政府がいろいろなお金を発行したり、各地方(かくちほう)でも特別(とくべつ)なお金を発行したので、お金のしくみと値打(ねう)ちが大きく乱(みだ)れたんだ。こうしたことから明治の初めの政府はお金の統一に大変(たいへん)苦労したんだよ。

お金が今の"円"になったのは明治の初めなんだよ。

明治の新政府は、お金のしくみが大きく乱(みだ)れ、信用(しんよう)がひくくなったため、早く信用の高いお金をつくりたいと計画(けいかく)し、1871年(明治4年)には大阪(おおさか)に造幣局(ぞうへいきょく)をつくったんだ。そして同時(どうじ)に法律(ほうりつ)をつくり、お金の単位を「円(えん)」「銭(せん)」「厘(りん)」にして、1円=100銭 1銭=10厘とあらためたんだよ。また、この時からお金<硬貨(こうか)>のつくりかたがかわって、穴(あな)がなくなったり、丸型(まるがた)ばかりになったんだよ。

お札をつよくするため"みつまた"が使われたんだよ。

わが国では1873年(明治6年)に初めて国立銀行にお札(さつ)の発行(はっこう)を認(みと)めたんだ。このお札は紙が弱(よわ)く、かんたんに破(やぶ)れてしまうなどの欠点(けってん)があったので、紙の質(しつ)をつよくするため、"みつまた"という木からとれるせんいを原料(げんりょう)として使うことにしたんだ。そして、山梨県南部町(なんぶちょう)でとれたみつまたも使われたんだよ。

イタリア人の"キヨソネ"によってニセ札を防ぐようになったんだ。

日本のお札づくりを手伝(てつだ)ったのが、イタリア人のキヨソネなんだよ。明治の新政府が最初(さいしょに)につくったお札はかんたんな図案(ずあん)と印刷(いんさつ)であったから、ニセ札が出まわったんだ。

政府は、ニセ札をつくらせないようにするため、キヨソネに原版(げんばん)をたのみ精巧(せいこう)なお札をつくることにしたんだ。キヨソネのつくったものとしては、国立銀行紙幣や、1881年(明治14年)に発行した一円札<神功皇后(じんぐうこうごう)>などが有名(ゆうめい)なんだ。

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