山梨中央銀行のおいたち
山梨中央銀行はこうして生まれたんだ。
山梨中央銀行は1874年(明治7年)6月"産業(さんぎょう)をさかんにして豊(ゆた)かな山梨をつくろう"という目的で、その名前を興益社(こうえきしゃ)として生まれたんだ。
その後、政府から銀行をつくってよいとの許(ゆる)しがだされ、興益社は第十国立銀行と名前がかわり全国で9番目の銀行となったんだよ。初めにつくった人は栗原信近(くりはらのぶちか)といって、韮崎市穴山町(にらさきしあなやままち)の人だよ。
山梨中央銀行は生まれてからもう、とっくに100歳(さい)をすぎてるよ。
みんなに"ちりもつもれば山となる"を教えたんだよ。
興益社(こうえきしゃ)は"山梨の産業をさかんにして、人びとの生活をゆたかにするにはお金が必要。だからみんな貯金(ちょきん)をしなさい。みんなの少ないお金でもまとまれば大きな力になるんだ。"と人びとに貯金の必要を教えたんだ。この貯金が「興産金(こうさんきん)」といって、全国の銀行で一番早くから始まった貯金なんだよ。
日本で最も古い貯金通帳(ちょきんつうちょう)も展示してあるよ。
銀行がしだいにまとまって山梨中央銀行がひとつになったんだ。
今からおよそ100年くらい前の1890年代~1900年代には、全国にたくさんの銀行がつくられたんだ。山梨にも一番多いときには70をこえる銀行がつくられ長野県(ながのけん)につぐ数になったんだよ。
ところがそれから20年くらいたった昭和の初めになると、しだいに銀行の経営が苦しくなって、銀行の数がへりだし、とうとう1940年(昭和15年)末(まつ)には4つになってしまったんだ。最後には一番しっかりした銀行が残って、山梨中央銀行となったんだ。
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